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    HOMEあの人に聞く(同窓生・担任便り)>外川 裕一先生
変わってゆく文京を見ていた12年間
外川 裕一先生
(49期D組担任 昭和62〜平成11年 地歴(日本史) 46歳 現在 都立忍岡高校教務主幹)
 
 − 49期D組の担任でした・・・。

 外川 49期生(平成9年3月卒業)というと新校舎になった段階で入学した生徒達ですよね。
     その時制服もリニューアルして、切り替えた最初の年度だったんですよ。私にとって
     は12年文京にいて最後に担任を持った生徒達なんですよ。

 大スペースの視聴覚室を作る

 − 新校舎ができる時の改築委員?

 外川 今の新校舎ができる時に各教科で改築委員を担当しました。西岡先生がまとめていらして、改築の目玉の一つ
     として、大きな部屋が欲しかったんですよ。ちょうど職員室の上に大きな空間ができることがわかって、そこをター
     ゲットにしました。大きい部屋にしておけば、学校説明会とかいろんな会に使えますよね。だから「大きい部屋が
     いいです」って言って西岡先生もいいと仰ったんです。次に「視聴覚教室として防音にしましょう」と言いました。そ
     れは防音にすれば巨大な空調のある部屋ができるからなんです。で、その通りになったのですよ。4教室規模の
     大スペースができあがって、文京としてはいろいろな用途があって、いい空間になったのではないですか。改築
     では自分の意見を色々聞いていただいて面白かったです。

 高校時代からブラスバンドを

 − 先生はブラスバンドにも熱心でした・・・。

 外川 僕は豊島高校の卒業なんですよ。いい先生の指導の下で、本当にブラスバンドを一生懸命やりました。楽器は
     ユーフォニュームです。チューバの小さいのですね。ぼくはそういう指導を、若い人にしたくて教員になりましたか
     ら、尤も教職につけば奨学金が返済免除になるということもありましたが・・・。

 − 着任当時の文京のブラスバンドはどんな感じだったのですか。

 外川 文京はその当時OBでもある渡部曜先生が指導してらして、その一角で教えてました。渡部先生は生徒の信頼も
     厚かったので、良い勉強になりました。その頃東京都の特色を出す推進事業でIC事業というのがありまして、ブ
     ラスバンドが手を挙げてこの学年の生徒達が入った頃の3年間で600万くらいのお金を使えました。今のブラスバ
     ンドの人数が多い要因の一つとして、その当時楽器を取り揃えられたことが大きいと思います。
      またお金だけではなくて、定期演奏会に中学生を招いて合同演奏をしまして、それが、今の文京のブラスの規
     模の大きさになっているんだなぁと思います。中学校に種を蒔くと4、5年後には高校で芽が出るのだと思いまし
     た。

 − 現在いらっしゃる忍岡高のブラスバンドは、どんな感じですか。

 外川 新忍岡高は単位制高校として2年目です。部員は20人あまりですね。女の子ばっかりで、女子高みたいな感じ
     ですよ。今度コンクールに出るんです。今日もこれから午後練習なんです。新設校って先輩がいない学校だか
     ら、辛いですよ。先輩というのは教員からすると、路線が違うと困る場合もありますが、色々サポートして貰える。
     運動部とかもそうでしょ。球出しをしてくれる人がいるとありがたいです。そういう意味ではOBがいないので大変
     ですよ。

 文化祭でクラス全員ネタの漫才を

 − 文京の文化祭で面白いエピソードがあるそうですが・・・。

 外川 この代で一番印象に残っているのが、1年の時に持ってたクラスがD組ですけど、「文化祭で何をやろうか」という
     ことになって、一人の生徒が「漫才」って言ったら、クラスみんなが「やろう!」ということになったんです。今でもビ
     デオを持ってますけれど、文京時代で、クラスの出し物では一番面白かったですね。普通はクラス演劇じゃない
     ですか。「コントが本当にできるの」って言ったんですが、「大丈夫」と、「やるんなら全員を寝たの中に出してね」と
     いったら本当に全員が登場しましたね。あれは面白いと思ったのですが、一回きりで、その後誰もその企画はや
     らなかったですね。まあやれる子がいたんですね。お笑い系に行きたいって言っている子が一人いたんです。そ
     の子は2年生のときは中田先生のクラスだったかな。

 − 先生はよく受験用の日本史でプリントを配って授業なさってました。

 外川 あの頃は教育課程を変えたので数学の必修が無くなった世代なんです。類型制をとる関係で、科目によっては
     勉強しなくなる世代でしたね。文京の自由な体質が、だらしない雰囲気になったので、新しい体質に変わってい
     こうとする時期でした。蓑田先生(和正。 社会)が来て一人で校門に立って「出るんじゃない」とか注意し始めた
     時期ですね。教員も注意しなきゃいけないという体質に変わってきましたね。文京生活20年という先生方が、定
     年で退職されて職員も異動でどんどん入れ替わって、文京が変わりつつあるのを文京の12年間で見ましたね。

 − 先生の文京の最後の1年は教務で大変そうでしたね。始終パソコンに向かっていて・・・。

 外川 今だって大変ですよ(笑)。文京で分掌は最後の2年だけなんですよ。担任が多いんですよ。圧倒的に。けれど忍
     岡高へ来てからは担任は持ってない。この9年間はずっと教務です。

 少子化への抵抗。趣味は子育て

 − 少し痩せられましたか?

 外川 文京時代より15Kgぐらい痩せました。2年前に健康診断で「要注意」がでたので、食事制限するように言われ
     て・・・。まずビールは飲まないようにしました。ご飯も昼時に大盛りを止めました。酒を飲んだらご飯を食べない。
     ご飯を食べたら酒は飲まない。そだけでずいぶん痩せましたよ。身長171cmでピーク時は80Kgぐらいあって今は
     61Kgあたりをうろついています。担任した生徒に今会ったら私のこと判らないですよ。あと人前で指導をしたり、
     歌ったりするのはどうも痩せる気がします。

 − 先生の今の趣味は何ですか?

 外川 完全に子育てですね。文京時代の最後で4人目が生まれたんですよ。実は、職場結婚で、結婚生活と共に異動
     になり文京生活を送ってましたね。今は5人子供がいるんですよ。高1を筆頭に、中2、小6、小4、小2ですね。年
     賀状のやりとりをしている卒業生は私の家族の写真を見て毎回子供が増えていくから面白いって言ってますね。

 − 最後に49期の卒業生に一言お願いします。

 外川 10年経って、いろいろな仕事に就いているし、高校時代の友達というのは定期的に会える機会があったら無理し
     てでも会った方がが良いですね。あとはいい人がいたらそろそろ結婚したほうが良いですよ。子供を増やしてくれ
     ないと、われわれ教員も仕事が出来なくなるので・・・。28歳ぐらいなら、ちょうどいい時期ですからね。

                                                          (湯沢一夫 28期A)