「パミール高原の国タジキスタンから」

41[1]中央アジアのタジキスタンがどこにあるかご存知でしょうか?
東は中国、北はキルギス、南にアフガニスタン、西にウズベキスタンに囲まれた国です。 パミール高原が国の7割を占め、北海道と東北6県合わせた面積の小国です。 その名の通り、タジク人が大半を占めますが、ウズベキ、ロシア、キルギスなどの民族が住む多民族国家です。
言葉はタジク語、ロシア語です。 この地域は、歴史的にはシルクロードの交易中継地として栄えたところですが、幾つかの民族に侵略を受け、20世紀初頭にソ連邦に併合されました。 ソ連の崩壊により、1991年に独立しましたが、内戦が勃発し96年まで混乱していたことや資源が少ないこともあって、非常に貧しい国です。
旧ソ連の分断政策の影響が深刻で、この国も隣国ウズベキスタンと不仲です。 ウズベキスタンの首都タシュケントは、日本やバンコクなどと直行便で結ばれ便利です。 この国の首都ドシャンベからは一旦日本とは反対方向のモスクワやイスタンブールに5時間も飛んでから、日本に帰ります。
本来なら、ドゥシャンベからタシュケントまで飛べば、1時間程度で着くのですが、不仲が原因なのかその便はありません。
尤も、この国の飛行機は危険とのことで、我々は利用してはいけないことになっていますが。
今年の冬は、40年ぶりの寒さということもあって、首都ドゥシャンベでも水道は凍り、停電も頻繁におきました。
郡部は、もともと一日数時間しか給電されないので、それほど大きな影響はなかったかも知れません。
寒さで、死者も出たようですが・・・・ 今は、もう春の陽気で、日中はかなり暖かです。
夏は40度以上なりますが、5月から11月までは全く雨は降らず、極端に乾燥しているのでそれ程度苦痛ではありません。
私はこの国で、昨年8月から農業分野の日本の支援計画を作る仕事をしています。             文京高校から北大に入り、高校では生物部(陸上部にも居ました)で植物が好きだったこともあって、紆余曲折の末、農学部に進みました。
第二次オイルショックの時代で、東京には適当な職がなく札幌に残り、北海道の農業団体に30年間勤めました。
5年前にひょんなことからフィリピン農業省のJICA派遣専門家を頼まれ、早期退職することになってしまいました。 フィリピンから帰り、ウズベキスタンとタジキスタンの農業調査などの短期の派遣専門家や農協のアルバイトなどをした後、今の仕事をしています。
この国の国民の6割は農業をしていますが、ソ連の集団農場で長い間働いてたこともあって、日本のように個人農家が自ら生計を立てることに慣れていません。
旧ソ連時代は学校や病院、バスなどは無料でしたが、今は現金収入がないと暮らせませんから大変です。
1日1ドル以下の生活で、パンとお茶で食事をすませる農家もいるようです。
乾燥地域ですので、パミール高原からの水を使った灌漑農業で、綿花や果樹(ザクロ、ブドウ、リンゴ、レモン、アンズ・・)、野菜、水稲などを作っています。
農家は例外なく牛や羊、ヤギなどを飼っていて、ほぼ食料は自給が出来るし、糞は燃料や肥料として使います。
今の日本の農業から考えると、ある意味で理想的な部分もあります。
一方、識字率96%と学校教育は一応整っていますが、教室はぼろぼろで教科書以外は何もないところが大半です。
手付かずの自然がまだ沢山残っていますから、何年後かには日本からの観光客が沢山くることを期待しています。 この機会に是非、タジキスタンというパミール高原の小国があることを話の種にして頂ければ幸いです。

早春の自然草地 秋のザラフシャンの山々 ザラフシャン峠から
ロバで昼食を運ぶ少年 オペラ劇場.jpg 雪のなかで遊ぶ子供.jpg
20期3H 中村 正士