第20回「東京校歌祭」のご報告

平成23年10月6日(土) 於 日比谷公会堂


会場外の練習風景

客席       文京高校のブラスバンドとOB 指揮山田先生



外観            記念写真

 

1 日比谷公会堂(1929年建設)は、1961年4月に東京開都500周年記念事業として上野の東京文化会館が開館するまでは、東京の代表的な舞台や音楽ホールなどに使われる公共建築の多目的ホールとして利用されて来ました。  若き日の「帝王カラヤン」も1954年の単身初来日以来、57年にはベルリンフィルハーモニーを伴って、59年にはウイーンフィルハーモニーと来日し、山田先生がタクトを振っていた場所で指揮をしていました。

2 この演壇は、1960年10月12日に浅沼稲次郎暗殺事件と言う戦後史十歴史的なテロ事件が起きたまさにその場所でした。当時は、安保闘争があり、近く総選挙を控えた情勢下で、自民党、社会党、民社党の3党党首演説会が開催中でこの日比谷公会堂は2500人を越す聴衆で満員状態(定員は2085名)でした。  民社党委員長西尾末広に続いて社会党委員長浅沼稲次郎が演説中の17歳の右翼の山口二矢(おとや)少年がテレビカメラや報道陣が詰めかける公衆の面前で銃剣で刺殺するという衝撃的なテロ事件が起こったまさにその現場でした。

(余談ですが、この10月1日に開業100周年を迎え開業時の姿に東京駅が復元されましたが、この南口の改札出口付近で、庶民宰相と呼ばれた原敬が1921年11月4日に刺殺され、その場所が刻印されています。また、ロンドン軍縮条約で国論が割れていた時に、浜口雄幸首相が右翼に狙撃され重傷を負った現場が、東京駅構内の東北新幹線乗換口付近であって、やはり遭難現場の刻印がありプレートが掲げられているがそのことを知る人は少ない。なお、犯人の愛国社社員の佐郷屋留雄は大塚駅の臨時職員であったと言います。現場の刻印を探してみては如何?)  梶野茂男

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